特集 海外図書館事情

スタンフォード大学フーバー研究所図書館

  東アジアコレクションについて  

河 野   勝  

 アメリカ西部の私立大学スタンフォード大学を訪れたことがある人なら、 おそらく誰もが、 その敷地の広大さとランドスケープの美しさに強烈な印象をもっておられるのではないだろうか。 私がこの大学に最初に足を踏み入れたのは、 1983年の10月、 ヨーロッパを学生旅行中にたまたま知り合いになった友人を寮に訪ねた時であった。 彼女にも恋をしていたが、 私は大学にも文字通り一目惚れをしてしまった。 絶対にまた帰ってこようと心に誓って、 キャンパスをあとにした。 それから7年の後、 スタンフォードの政治学部の博士課程に入り、 ようやくその念願を果たすことになる。 もちろん彼女はとっくに卒業してしまっていたが、 カリフォルニアの青い空に背高くのびる椰子の木、 それと赤い煉瓦屋根の建物がおりなす調和は、 記憶に残っていたままであった。 私は、 そこで二年間、 充実した大学院生活をおくり、 無事に博士号を取得することができた。 そして、 1996年から97年の一年間は、 同大学のフーバー研究所にナショナルフェローとして滞在する名誉までいただいた。

スタンフォードには、 いくつもの図書館があるが、 今回私がご紹介したいのは、 フーバー研究所の東アジアコレクションといわれるところである。 フーバー研究所は、 同大学のキャンパスの中でも、 ひときわ目立つフーバータワーとよばれる塔と、 それを囲むようにしてあるコンプレックスから成り立っている。 そのうち、 東アジアコレクションがあるのは、 「ルーヘンリーメモリアルビルディング」 と呼ばれる建物である。

階段をのぼり、 きれいに磨かれたガラスのドアーを手前に引いて中に入ると、 ひんやりとした空気が流れる。 天井が高く、 右手の奥には、 さらに上へと昇る内階段がみえる。 中央には、 古い蔵書用のカードカタログを収めた木製のラックが2列、 そのまわりには、 コンピューターの端末や椅子、 テーブルやソファーなどが広々と配置されている。 向かって左へ進むと、 図書館のスタッフが貸し出しカウンター越しに三人ほどすわっており、 その向かいには、 アジアの新聞が20紙程おいてあって、 自由に読めるようになっている。 さらにその奥へと進むと、 そこは雑誌 (総合誌と学術誌) がおいてある部屋で、 大きなテーブルが三つ配置されていて、 自分の教科書やノートを持ち込んで勉強してもかまわない。

 政治学部の大学院生だったころ、 私がこの図書館を利用したのは、 おもに日本の新聞や雑誌を読みにくるためであった。 読売と日経は、 ほとんど一日も遅れることなく、 朝日も三日遅れた程度で届いていたように思う。 ここへくると、 同じように新聞や雑誌を読みにきている他の日本人の人たちと顔を合わせることも多くて、 それが楽しみでもあった。

 もちろん、 東アジアコレクションというのは、 アジアの雑誌と新聞が置いてあるだけではない。 ルーヘンリーメモリアルビルディングの地下には、 中国語と日本語の本が、 数多く眠っているのである。 そこへ入るのには、 特別な許可証を発行してもらう必要がある。 学生であればもちろんのこと、 スタンフォードを短期に客員で訪れる研究者でも時限付きで、 簡単にこの許可証を発行してくれる。 そして、 スタッフのいるカウンターの奥にあるエレベーターを使って、 日本語のフロアーに降りると、 歴史、 文学、 経済学、 政治学、 法律関係の本から、 自然科学系の学術雑誌にいたるまで、 実にたくさんの書物がある。

 私がフーバー研究所のフェローとして再度スタンフォードを訪れたときには、 ここの蔵書をフルに活用させてもらった。 当時、 私は戦後日本の憲法改正と行政機構改革を研究していたのであるが、 そうした古い時代の資料もよくそろっていた。 日本の平均的な大学の図書館とくらべても、 ここのコレクションの方が圧倒的に優れていると思う。 同研究所で日本の植民地時代の研究などをなさっているマーク=ピーティー教授に伺った話では、 北米でも、 東アジア関係の文献が充実している図書館として、 五本の指の中に入るだろうということであった。 しかも、 ここは開架式で、 自分で中に入って、 好きなだけ時間をかけて立ち読みしたり、 本を選ぶことができるメリットがある。 私がフーバーで与えられた研究室は、 たまたま内階段を上った同じ建物の二階にあったので、 書架から一度に多くの本をチェックアウトしても、 持ち運ぶ距離が少なくて、 なんとも便利であった。

 シリコンバレーの活況などで今ではすっかり持ち直したが、 スタンフォードもかつては財政難に陥り、 このコレクションが日本から本を買う予算が削られたことがあった。 その時以来、 この図書館は、 ベイ (湾) を挟んで対岸にあるカリフォルニア大学バークレー校と連携を強めて、 優先順位の低い専門書や雑誌については、 バークレーかスタンフォードかどちらかにいけば手にいれることができるという体制作りを進めたのだそうである。 バークレーで手に入る本のリストをコンピューターで検索してリクエストをすれば、 一週間ぐらいで送ってきてくれる。 それ以外にも、 西海岸の他のいくつかの大学からも、 必要であれば、 本を送ってもらうこともできる。 日本でも、 このようにライバル校の図書館同士が協調して、 コレクションを充実させていくことが行われるものなのか、 私は知らない。 しかし、 学生や研究者たちが研究を進めやすい環境を整えることが自分たちの使命である、 というアメリカのライブラリアンたちの真摯な努力を、 私は感じとった。

 もうひとつ、 彼等の気概のようなものに感心したのは、 ほこりまみれになった50年ぐらい前のある学術雑誌を書架から引っ張り出してきて、 「これ、 私以前に使った人が誰もいなくて、 何かもったいないなあ」 と感想をもらしたときに、 ここのコレクションのキュレーターであるラモン=マイアー教授が、 私に語ってくれた言葉であった。 「たしかに、 図書館は、 そこに収められている本が多く利用されればされるほど、 その役割を果たしているといえるかもしれない。 しかし、 できるだけ多くの本や雑誌を集めるということ自体にも、 図書館の重要な役割があるのだ。 もし、 そのことを怠っていたら、 今日あなたは、 この雑誌を手にすることができないで、 失望していたのではないでしょうか」、 と。 まったくそのとおりで、 多くの書物がほこりまみれになって、 何十年もただじっと誰かが手にしてくれるのを待っているというのは、 無駄でもなんでもないのである。

 図書館には親切な日本人のスタッフが何人もいて、 彼らは、 ビジターに過ぎない私にむかって、 「何か抜け落ちている本や雑誌で重要なものがあったら、 リストにして渡して下さい」 と、 ことあるごとに注文した。 そうした際にも、 彼らのプロフェッショナリズムを感じたものであった。 そこで、 気をつけてみるのであるが、 なかなか、 抜け落ちている本や雑誌に思い当たることがない。 それだけ、 コレクションが充実しているのである。 一年の最後に、 空のリストを返すと、 彼らはただ笑みをもらして、 それはよかったといってくれた。

 私は、 来年 (1999年) の春、 もう一度、 スタンフォード大学を訪れる機会に恵まれそうである。 というのは、 今度は自分の卒業した政治学部で、 ゲストセミナーをするよう招待されているからである。 正面をくぐり、 椰子の並木を抜けて、 大きな芝生の向うにメインのキャンパスを一望するときの感動をもう一度味わいたい。 そして、 一週間ぐらい滞在して、 ピーティーさんやマイアーさんとも旧交を温めたい。 もちろん、 青山学院の方から、 海外出張願いの許可が無事下りればの話であるが…。

(国際政治経済学部助教授日本政治、 比較政治)

 

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